第90話 「宮島弥山・大聖院登山道復旧(3) 」

写真1 白糸川砂防1号堰堤標識
「太夫戻岩」を抜けると、目の前が突然開けます。宮島にはあまり似つかない光景です。この度の復旧工事の中心「白糸川砂防1号堰堤」です(写真1)。この堰堤の横に立つと、弥山に対峙する駒ヶ林の中腹(写真2)を起点にして大量の土石が流れ出したことが分かります。この土石流の傷跡は、今でも対岸からはっきりと見ることができます(写真3)。

写真2 駒ヶ林中腹の土石流跡

写真3 対岸から見る土石流跡

写真4 白糸川砂防1号堰堤
宮島の谷川には、もみじ谷を代表に大小の砂防堰堤がたくさん築かれていますが、この堰堤は、これらのものと比べると、これからも度々流入が予測される土石流に備えて大掛かりなものになっています(写真4)。そのため、堰堤内に取込まれることとなった旧登山道は大幅に付け替えられています。
もともとこの辺りは水脈が走っていて、小さな土石流にくり返し洗われていました。そのため、ぬかるみ易い登山道には石材が敷詰められていましたが、中でも江戸時代に101mにわたって平らな石を敷詰めた石畳は「遊女の石畳」と呼ばれ(写真5)、宮島の文化や歴史を学ぶ貴重な教材でした。
この度の土石流でその「石畳」の約1/3が流失し、いずれ堰堤内で埋没するであろう残りの2/3をどうするか、その保存対策がいろいろ検討されましたが、結局それぞれの石に識別番号を付して、10m上の付替え道にそのまま移設されました(写真6)。
谷川の脇にあった旧道では「石畳」は所どころ苔むして、しっとりと湿っていましたが、新道は眺望も日当たりも良く「石畳」は乾ききっています。何となくこれまでとは違和感が・・と思いながら、エジプトの古代遺跡救済の話を連想しました。

写真5 「遊女の石畳」

写真6 移設された「遊女の石畳」
1960年、エジプトのナイル川にアスワンダムが建設される際、水没するヌビア遺跡・アブシンベル大神殿を1万6千個のブロックに分割し、祈りに不可欠な朝日の方向も日差しも元通りになるようにソフトウェアも含めて、60m上の高台へ移築されたという話です。14年間、50か国が協力したこの活動が、世界遺産条約のきっかけとなっています。
白糸川の堰堤とナイル川のアスワンダム、遊女の石畳と大神殿の水没、そして世界遺産、規模の違いはありますがその組合わせと対比性のおもしろさを感じました。
堰堤に立つと、これまでに無かった眺望が開けています(写真7)。さすがは瀬戸内海国立公園だと感嘆します。人工物はこの堰堤と新しい登山道だけです。
一方で、目の前に裸地のまま放置されている山肌が目立ちます(写真8)。これは、宮島の自然「弥山原始林」にはどこまで回復力があるか、どのように回復するかの自然実験のためとのこと。この実験の対照区として、堰堤ののり面に人工植栽の区画があります(写真9)。景観に違和感がありますが、宮島の調査研究のためならよしとしますか。さて10年後には、どういうことになっているのでしょう。

写真7 瀬戸内海の眺望

写真8 植生実験(裸地)

写真9 植生実験(対照区)
この石畳の出口には新しくできた水場があります。一休みできます。この辺りは15丁です。このあと、18丁の仁王門まで一息。弥山の頂上(標高530m)は24丁です。
