第94話 「宮島・奥の院への道」
江戸時代の町石十五丁を経て、仁王門(跡)前の十字路で方向を確かめ(写真1)、大聖院から登ってきた道をそのまま真直ぐに進むと(写真1-2)奥の院です。
その途中の道は、秋ですと空に広がる自然林のウリハダカエデの紅葉を、初冬には参詣道にずっしりと積み重なったその落ち葉(写真2)の感触を楽しむことができます。

写真1 仁王門(跡)前の案内板

写真2 ずっしりカエデの落ち葉

写真1-2 奥の院への道
初春にはちょっと場違いな感もありますが、きれいなピンクの椿花(写真3)が迎えてくれます。
奥の院は普段は無人ですが、その境内はいつも掃き清められています(写真4)。

写真3 奥の院境内の椿花

写真4 奥の院大師堂

写真5 陶晴賢の負死の碑
この境内も、以前はスギやモミ・カヤの大木に覆われて昼なお暗き・・ところで、 陶晴賢の霊はいずこに・・という霊地でしたが、ごたぶんに洩れず、ここも度々の台風に襲われ今ではその大木も少なくなっています(写真6)。
その境内の一隅に「二十八丁」とも読める江戸時代の町石と、「厳島合戦」で毛利元就と戦った陶晴賢の負死の碑があります(写真5)。

写真6 奥の院裏山の折木
ここへ足を延ばされる探勝者は意外と少なく、宮島の歴史文化と自然林の静粛さを独り占めすることができます。
弥山登山道登り口の懺悔地蔵堂(写真7)の基壇には「本堂まで登十八丁」(写真7-2)と刻まれています。江戸時代の町石に刻まれた丁数を追っていくと、大日如来を祀る大日堂(写真8)の石段下「十八丁」に到ります。江戸時代の厳島弥山参詣のゴールはここのようです。

写真7 懺悔地蔵堂

写真7-2 懺悔地蔵の基壇

写真8 大日堂「十八丁」

写真9 奥の院「二十八丁」
ところで、奥の院境内の「二十八丁」(写真9)は何でしょうか。
仁王門十五丁から本堂(大日堂)十八丁へ到り、 引き返して奥の院へ向かうとすれば、再び仁王門は二十一丁です。二十二丁、二十三丁の町石は現存しませんが、二十四、二十五、二十六、二十七丁と追っていくとこの二十八丁に到ります。
どうやら、江戸時代には弥山参詣のオプションとして奥の院参りが用意されていて、奥の院もおおいに賑わっていたのではないでしょうか。
